戻る
進む
2. 1915年(大正4年)福岡県直方市須崎町。
林芙美子12才、映画との出逢い。
福岡県直方市須崎町の今はサンリブ直方が建っている場所には、そのむかし開月館(かいげつかん)という映画館がありました。
1915年(大正4年)その開月館で、12歳の少女がその年大流行した映画「
カチューシャ」を見ました。
「浪花節より他に芝居小屋に連れて行ってもらえなかった」少女は、「ロシヤ女の純情な恋愛はよくわからなかったけれど、それでも」「映画を見て来ると、非常にロマンチックな少女に」なれる自分に気付きます。たちまち映画に夢中になった彼女は「たった一人で隠れてカチュウシャ」を「毎日見に行」くようになりました。
「放浪記」に書かれたこれは、後に流行小説家となり、原作者として名匠
成瀬巳喜男監督の作品を支え、ついには名画
「浮雲」(1955)を産み出すことになる、12歳の林芙美子の映画との出会いのとき。
「放浪記」冒頭、「直方の悪口」「尾道の踏み台」といわれる直方のエピソードには、こんな風に、名画「浮雲」の原点とも思えるひとときも描かれていました。
-- 以下『放浪記』引用 --
ほうろくのように焼けた暑い直方の町角に、そのころカチュウシャの絵看板が立つようになった。
(中略)すると間もなく、頭の真ん中を二つに分けたカチュウシャの髪が流行って来た。
カチュウシャ可愛や 別れの辛さ
せめて淡雪 とけぬ間に
神に願いをララ かけましょうか。
なつかしい唄である。この炭坑街にまたたく間に、このカチュウシャの唄は流行してしまった。
ロシヤ女の純情な恋愛はよくわからなかったけれど、それでも、私は映画を見て来ると、非常にロマンチックな少女になってしまったのだ。
浮かれ節(浪花節)より他に芝居小屋に連れて行ってもらえなかった私が、たった一人で隠れてカチュウシャの映画を毎日見に行ったものであった。
(『新版 放浪記』)
こんな音楽がいつも須崎町に流れていたんでしょうね。開月館に通う12歳の林芙美子が、それを口ずさみながら須崎町商店街を歩いてく様子が目に浮かぶようです。