林芙美子が半年あまりの間滞在したという「大正町の馬屋」とはどこにあったのか。地元直方でも諸々の見解があって、なかなかはっきりしません。
これについて、福岡県文化財保護指導委員、直方市在住の牛嶋英俊さんが、西日本文化 2009年10月号に掲載された『放浪記の虚実』という記事の中でとてもわかりやすく考察されています。
『一家の生活の拠点となった「大正町の馬屋」だが、比定できる宿屋と位置については二説がある。』
『ひとつは須崎町7-21にあり、語呂がにた「梅屋」で、ながくここが「馬屋」のモデルと考えられてきた。』【梅屋説】(画像の看板の記述はこれに基づく)
『これに対し、直方市史編さんにたずさわった行実正利氏は、
旧明神町にあった「入口屋」に比定している。ちなみに、
神正・大正の両町は、戦後地名統合して神正町となった。
行実氏によれば、「入口屋」は旧明神町にあった木賃宿で、
主人は馬車引きを兼業していた。宿の入口横に馬をつなぐ場所があり、馬の姿が道筋からもよく見えたため「馬屋」
で通るようになった、という。現在の神正町9-47である。』【入口屋説】
『現地には当時の建物も残っておらず決定の決め手はないが、
両者はおなじ通りに七○メートルほどの距離をおいた位置にある。
馬屋がいずれの位置であったとしても、芙美子が記す「大正町」
でないことは確かである。』
(西日本文化 2009年10月号『放浪記の虚実』より)
牛嶋英俊さん(先生とお呼びすると罰金を取られます)には、この記事の引用許可のほか、これまで掲載してきた大正時代の貴重な直方の写真を推薦していただきました。その他にもさまざまな相談に乗っていただいております。この場をお借りしてお礼申し上げます。
ありがとうございました、牛嶋先生。